壁と口づけ

どうも、です。2回目の更新です。

今日もまた、親愛なる彼女から借りた思い出深い一冊を紹介したいと思います。

 

と、その前に。

前回僕は年間300作品以上は映画を観ていると言いました。当然それなりに詳しい自負はありますし、たくさん観ては人一倍多くの考えを巡らせきただろうとは思います。

ではなぜ、そんな大好きな映画ではなくて、わざわざ自分の彼女から借りた本だけを扱って感想を書こうとするのか。

答えは簡単です。

のろけたいからです。見返してはへへっ///てなりたいからです。そのへへっ///を誰かに見せつけることで幸福が倍になります。

 

もうひとつ。僕は気づいたのです。

他人がオススメしてくれたものにこそ自分が宿っているということにです。

これは彼女の良いところなのですが、「私が好きな〇〇」ではなく、「あなたもきっと好きな〇〇」をいつも教えてくれるのです。

他人の目を通して自分が立体的になる。だから発見が多い。出会いが多い。これは真理です。

 

そのことを体験させてもらって以来、僕も他人に何かをオススメする時はその視点を欠かさないように心がけています。

そしてさらに、教えた方もまた相手のことを少し深く理解できたり、共感できたり、別の一面に触れたりできるという…いいことづくしなわけです。

 

そういうこともあって、僕と彼女はいつも話題に事欠きません。1年経った今でも毎晩長々と電話をしていろんな話をしています。

彼女は僕に小説とグルメとファッションと旅行の話をし、僕は彼女に映画と漫画とテレビドラマとスポーツの話をします。

月日が経つにつれて、段々とその"担当分野"の境界線が消えてきているのは嬉しい。それはひとえに彼女の文化への姿勢のおかげなのです。

 

ところで。その彼女は相変わらず夜中に牛丼を食べる悦びから抜け出せないでいます。

彼女曰く、口が吉野家の日とすき家の日があるそうです。

「美味しさの質が違うの」彼女は言います。

吉野家はどこか上品な味とその低価格で日本のファストフードの質の高さを感じさせてくれるんだと。一方で、すき家はジャンキーな味付けかつバラエティに秀で、牛丼を食べることそのもののありがたみを感じさせてくれるんだと。

(たしかに彼女が海外旅行から帰ってきてまず最初に選んだのは吉野家でした)

 

 

さて話が行方をくらましましたが、本題は夜食から抜け出せない女の話ではなく、壁を抜けられる男の話です。

 

『壁抜け男』マルセル・エイメ

 

 

壁抜け男 (角川文庫)

壁抜け男 (角川文庫)

 

 

今回はこちらの一冊。

これを借りた時、正直タイトルのダサさに息を呑みました。キャスパーかな?と思いました。 

 ところがどっこい。これがなかなか考え深い切ないお話でした。

 

この一冊は表題作と合わせて5つの作品から成る短編集です。

  • 「壁抜け男」

→壁をすり抜けられる男の話

  • 「変身」

→断首刑を宣告された男がキリスト教と出会い赤ん坊になってしまう話

  • 「サビーヌたち」

→自分を増やす能力を持つ女の話

  • 「死んでいる時間」

→生きている日と死んでいる日を交互に過ごす男の話

  • 「七里のブーツ」

→ひと跳びで七里を飛び越えられるブーツをめぐる子供たちの話

 

これだけ見るとまた奇天烈で幻想的な作風かと感じると思います。が、これらの短編はここに書いてある点以外はいたって簡素で論理的なお話で、そこが前回のボリス・ヴィアンとの違いです。

そして、5人の主人公たちはみな社会的には弱者と言えるということも共通しています。

具体的には下級役人や貧乏人、頭の弱い人などですが"マイノリティ"とは少し違う。そこがエイメの上手なところだったなと個人的には思います。

これら各作品の持つ結末の風刺的感覚や豊かな人間味は、マイノリティな人物を中心にしてしまうと大衆性と両立できません。

なぜなら、読者の同情ではなく共感が必要不可欠だからです。

一から想像するしかないような人物が不思議な運命を辿ることと、どこか自分も見知った景色を見ている人物が不思議な運命を辿ることは全く別の読後感を生むと思うのです。

 

壁抜け男の物語で言うと、主人公であるデュティユルはごくごく平凡で、人並みに見栄も復讐欲もいたずら心も性欲も持っています。

言ってしまえば、そんな普通の男が自らの過失で自らを葬ることになるだけなのですが、どうしてか切なさで胸がいっぱいになります。

それはたぶん、普通の男だったからです。お金持ちでもなく天才的頭脳の持ち主でもなくただ壁をすり抜けられるだけの平凡な男だから。

現にあれほど能力を乱用して法を犯していたのに、皮肉な結末は、それをさも罰するようなタイミングでは訪れませんでした。

ではそれはいつだったか。恋に溺れた時だったのです。

「普通の男が普通に恋に落ちただけなのに、どうして運命はこうも悲しい」と読者は感じます。この能力がなければ…。でもその能力のおかげで最後に恋ができたのか…。この矛盾が切なさであり、風刺的なのです。

 

そんな僕はというと、泣くまではしませんでしたが下唇を噛み締めながらページを閉じました。彼女のセンスに感服し、作品の極上の読後感にやられました。

短編ということもあって、どれも結びが効いていてたまりません。

壁抜け男も例に漏れず最高です。

 

人通りのたえた冬の夜、ときおり、画家のジャン・ポールがギターをかかえてノルヴァン通りにふらりとやってきて、塀のなかに閉じ込められている哀れな男をなぐさめようと、一曲歌うことがある。

すると、ギターの調べが、寒さにこごえた画家の指をはなれて、月の光のしずくのように、石の奥まで染みこんでいくのだ。

 

月、夜の匂い、ギターの音色、寒さの肌感覚。五感を響かせる簡潔で見事な描写。

加えて、最後の最後になってこうして目線を他者にふることで、主人公の皮肉な境遇とやるせなさが浮き彫りになるという。

 

ちなみにこの作品。みんな大好き劇団四季がミュージカルとして上演していたそうです。僕は知るのが一歩遅く行けませんでした…。しっかりと付き合う前に観に行っていた彼女の絶賛をただ耳にすることしかできません。再演、待っています。

 

 

そういえば。

ちょうどこの小説を借りた頃に僕は彼女に告白し付き合い始めたのでした。

それから最初のキスまでに苦労したのがいい思い出です。付き合って一ヶ月ほど経過し、絶対今日はする!と意気込んでもう別れ際。

帰ろうとして振り返った瞬間に、勇気を振り絞りました。

結果、彼女が驚いて目を瞑るほど無理な形ですることになりました。

しかも。慌てすぎて、した直後に「こ、これでよく眠れる」と言ってしまいました。彼女は困惑し、後日爆笑してました。

…思い出すだけでこめかみがピリッとします。まずは勇気を褒めて欲しい。

とにかく、なんとか腰抜け男にはならずに済みましたとさ。

 

以上、第2回でした!